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2016.05.10 TUE - 読書ブログ

毒親に支配されている人へ 自分の人生を生きよう『毒親からの完全開放』影宮竜也著

image毒親専門カウンセラー

著者の影宮竜也さんは、毒親カウンセラーです。この世の中に毒親専門カウンセラーという職業があるということを、私はこの本を読んで初めて知りました。「毒親」という言葉はスーザン・フォワードさんの著した『毒になる親』で使われたのが最初だと言われていますが、一度その概念ができてしまうと、すごい早さで浸透して、親子関係の破綻しているパターンの1つとしてよく使われるようになってきました。私が子供の頃は「毒親」なんていう言葉は知らなかったため、幼い私は「なぜうちの親はこんなに私のことばかり叱るんだろう。」と思っていましたし、疑問に思ったことを、その時起きたことも交えて友人や周りの人たちに話をすると、「お姉ちゃんってそんなものだよね。我慢しなきゃ。」と言われるか、「りかちゃんのママって教育熱心なのね。」とやんわり言われるかのパターンがほとんどでした。まだ、厳しくしつけをすることが良しとされていた時代背景もあったのかもしれませんし、本当は思うところがあったけど他人の家庭に口出しするものではないと一歩引いたところで見ていたのかもしれません。

当時親から言われたこととして
・あんたなんか産まなきゃよかった
・あんたのせいでママの心臓が悪くなった。ママが死んだらあんたのせいよ
というものがあり、妹に鉛筆で目を刺されても階段から突き落とされても学校でいじめられても母が私の味方になってくれたことはなく
テストで100点取っても褒められず、目の前で褒められいろいろなものを買い与えてもらって得意げにしている妹のサポートを強いられてきました。

いま、同じ体験の内容を同じように周囲に伝えると、「それは虐待だ」とか「親の悪口をそんなに言うぐらい親が嫌いなんだね」という反応が返ってきます。これは私が社会人になってからの周囲の反応なのですが、子供の頃に言われていた反応と違って驚きました。子供の頃は親からの理不尽に対して、周りに訴えかけることで「長女はみんな我慢してるんだよ。よくあることだよ。」という反応が返ってくるのがわかっていて、それで自分を納得させていた部分がありました。それが、社会人になって一変し「なんでそんな酷い目にあってるなんてことを他人に言えるの?親が嫌いなんだね。」と責められることさえあって、困惑したものです。「あるあるネタ」として話題に提供していただけの話が、「虐待をネタにして貶めるほど嫌いな親の悪口」と捉えられるようになっていたのです。しかし、当の私は親の悪口を言っているという自覚はなく子供時代の延長線上ですっかりそれが普通のことだと自分自身でも思うようになっていたのです。こうした周りの意見の変化は時代の移り変わりによる捉え方の変化とも言えますし、大人になって解決できる話になったから本当のことを周りが言ってくれるようになっただけかもしれません。しかし、よくよく考えると子供の頃の私は確かに精神的につらく暗い毎日を送っていたことには違いなく、我慢して自分を納得させるために必死で「我慢しているのは私だけではない。」と思おうとしていたのであって、最初から「普通のことだ」と思っていたらわざわざネタにすらしなかったのではないかといまでは思えます。子供が辛いことを押し込めて我慢することが普通だと思わせている親がいる、というだけで冷静に考えたら異常事態です。このように「我慢するのが当たり前」という状態に子供を押し込める親は間違いなく毒親だと思いますし、きっといまでもやるせない思いを抱えながらも家族の維持のために歯を食いしばって「これが普通」と思い込もうとしている子供はいるはずで、そんな子供達が異常事態から抜け出していくためにも、もっと毒親という概念は広まるべきだと思いますし、著者のような毒親カウンセラーや、毒親に対抗する大人がたくさん出てきて子供達を守ってあげていってほしいと切に願います。


毒親にも種類がある

この『毒親からの完全開放』では、毒親専門カウンセラーと名乗る著者だからこその、明確な毒親の種別分けが紹介されています。どの家庭でも個別のケースはもちろんあって、それを家族単位で見て悩んでしまうから悩みは生まれるのですが、そうしたここの家族問題も複数関わっていく中で一段上の視点で分けられるパターンがあるということなのです。それは、様々な毒親の様々な事例に触れていないとできない視点だと思いますし、家族の問題に縛り付けられて自分と親との狭く濃い関係性に悩んでいる子供には「同じような体験をしている子供時代がいる」ということや「うちの親と同じような考え方や行動をしている人は毒親なのだ」とわかることによって救われることはたくさんあります。私の子供時代とは真逆で、「普通のこととして我慢して自分を納得させる」のではなく、「異常なこととして抵抗していいんだという力を与える」ということにつながると思うのです。

著者の影宮竜也さんも、毒親と戦った子供の一人でした。影宮竜也さんの母親は実の息子である影宮さんに内容証明を送り、裁判で息子を訴えました。文中の言葉を借りていうなら「サイコパス型」の親だったのかもしれません。親の中には、子供よりも自分が可愛く何より自分を最優先にしたいと考える人もいます。考えてみると当たり前で、子供ができたからといって全ての親が自分の人生を投げ打って子供のために生きるようにピタッとスイッチが切り替わるなんてことはないのです。親が子供に、子供が親に理想像を押し付けあうからこそ歪みが生まれてしまうのであって、親も完全な人間ではないということを分かった上で親には親としての責任を全うに請求すればいいだけですし、親としても人間としても言ってはいけない言葉は言うべきではないというのがわかればいいと思います。


絶対的な親という権力

親は自分のお腹を痛めて、お金をかけて子供を産み、自分の趣味の時間を削ってでも子供に時間を使いお金を使って育てます。ご飯は何を食べさせるのかも、どんな服を着せてどんな髪型をさせてどんな友達と遊ぶ時間を設け何を与えるのかも全て親の懐事情と考え方に左右されてしまうのが子供です。そうすると、子供にとって親は絶対的な権力の象徴になってしまいます。これはどこの家庭でも同じです。全て自分の采配で子供をコントロールできると思ってしまうと「誰が育てていると思っているんだ。」とか「恩があるんだから親には逆らうな。」と言った言葉が出てくるようになります。しかし、子供が欲しくて作ったのは親の責任ですし、親を親にしてあげたのは他ならぬ子供のおかげなのです。この世に生を受けた瞬間から、子供は子供の人生を歩む権利があります。親がなんと言おうと、子供は親の所有物ではなく日本という国に認められた独立した個人であり、独自の人生を最低限度の生活を守られた上で送っていくことができるのです。どんな親でも子供だった時代はあります。子供が親を親にしてあげて、いつか成長して自分一人の人生から、子供という贈り物を得ることによって親にしてもらえるのです。そうやって続いていく縁に感謝してここの人生を尊重して過ごすことこそ、人間らしいと言えるのではないでしょうか。

毒親の概念を知ることは、人として子供を尊重できていない状態を知り、それを抑止する力を持ちます。いま、親に対して言いようもない圧迫感を感じている子供達も、子供を持とうとしている親候補の人たちも、すでに子供を得て所有物化してしまわないか不安を感じている親も、ぜひこの本を読んで見て欲しいと思います。

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大山 莉加

大山 莉加Rika Ooyama

ビ・ハイア

ビ・ハイア株式会2010年に正式入社。 千葉県茂原市出身。昭和62年11月19日生まれ。 専修大学文学部2010年卒業。

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